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※本インタビューは、「歌の手帖」2021年4月号収録の文章を当時のまま掲載しております
昨年はデビュー20周年を、11月の日本武道館公演と、6回目となるNHK紅白歌合戦出場で華麗に締めてくれた山内惠介。そして2021年を飾る新曲『古傷』は、久しぶりに演歌歌手・山内惠介の原点を感じさせてくれるマイナー調の演歌作品となった。おまえがいたから俺がある…と唄う同新曲には、たくさんの古傷を重ねながら、21年目、更なる次へと向う今の彼の思いが映っているようだった。
撮影/島崎信一
無観客の紅白で
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今回の表紙と巻頭は、昨年末のNHK紅白歌合戦で『恋する街角』を唄った時に着ていた衣装で撮影しましたが、山内さんの6回目となる紅白出場はオーケストラスタジオで50人の演奏をバックに唄われましたね
「今回の紅白は無観客での開催で、僕はオーケストラスタジオで唄ったんですけど、紅白ならではの緊張感、特別感はしっかりありましたね。またリハーサルは当日だけだったんですけど、逆に何回もリハーサルが出来たんです」
通常、紅白のリハーサルは、3日間くらいかけてNHKホールだけでやりますけど、今回はNHKホールと複数のスタジオを中継しての開催でしたから、リハーサル方法も異なっていたんですね。
「ええ、だから本番に向けて、納得するまでリハーサルをさせていただけたんです。しかも東京フィルハーモニー交響楽団さんの演奏で唄える…という、得難い体験をして、歌手としての贅沢感を味わわせていただきました」
親交のあるユーミン(松任谷由実)さんとはお会いできました?
「はい。最後の『蛍の光』を唄う時、101スタジオ組にユーミンさんもいらしたので、ご挨拶させていただきました。また同郷の椎名林檎さんに〝武道館公演をテレビで視ました。面白かったです〟と声をかけてもらったり、最後の『蛍の光』を熱唱したら、横にいらしたSuperflyさんが〝素晴らしい歌声ですね〟と言ってくださったりしたんです」
Superflyさんも圧倒的な歌唱力のあるシンガーですから、その言葉は嬉しいですね。
「本気で熱唱して良かったです(笑)。普段逢えない方々とお逢いできるのも、紅白の魅力。今年も年末にそんな夢のステージに立てるように、頑張りたいです」
干支が一回り
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紅白で唄った『恋する街角』の発売から、もう12年ほど経つんですね。
「2008年の子年に『恋する街角』を発売して、干支が一回りした2020年の子年の紅白で『恋する街角』を唄う…感慨深いものがありました。キャンペーンで全国を飛び回っていた12年前、まさか『恋する街角』を紅白で唄うことになるとは思わなかったですから」
意外でしたよね。
「そして今年…2021年は丑年ですけど、前回の丑年だった2009年に鈴木紀代先生の作詞で『風蓮湖』を作っていただきました。そして本当に偶然ですが、『風蓮湖』から干支が一回りした丑年の今年、新曲『古傷』の作詞を手掛けてくださったのが鈴木紀代先生なんです。色々な縁を感じます」
20周年記念曲第2弾となる新曲『古傷』は、久しぶりにマイナー調の演歌作品です。
「今回の新曲を決める時に色々と意見がありましたけど、水森英夫先生の中には〝そろそろ演歌を…〟という気持ちが強くあったように感じましたし、実は僕の中にもそういう思いがあったんです」
しんみりと沁みるような、良い意味でベーシックな演歌作品で、カラオケでも好まれそうです。
「シミジミと優しく心に沁みる、演歌ならではの作品。そして、僕にとって今だからこその『古傷』なのかな、と思うんです」
38歳になる年、等身大の演歌
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今だからこそ?
「今年の5月31日で38歳になりますけど、40歳を目前にした今だからこそ等身大で唄える演歌だな、と思ったんです。唄っていて、しっくりくるんです。38歳になる年に、出逢うべくして出逢えた演歌、と思いました」
山内さんも今年で38歳…歌の中の一人称と二人称が〝君と僕〟ではなく、初めて〝おまえと俺〟になりましたけど、それが似合う年齢になってきた、と。
「この年齢になると、だんだん幼い歌が逆に難しくなってきて、こういう大人の世界観の方が、しっくりくるようになりましたね」
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日常で〝俺〟って言います?
「たまに…ただ〝俺〟って言った後で反省しますけどね(笑)。俺って、威圧感があるじゃないですか。メールでも、〝俺はこう思うよ〟と書いた後で、〝僕はこう思うよ〟と書き直したり。僕の場合、日常ではまだ〝俺〟は言いづらいですね。でも、歌の中では〝俺とおまえ〟の方がしっくり来るようになりました。きっと紀代先生も、今の僕は歌の中では〝俺〟が似合うようになってきた…と思って書いてくださったと思うので、それは嬉しいですね」
『古傷』は、出逢うべくして出逢えた演歌
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20年の古傷
人生は自分が傷ついて、その痛みを知らないと心から分からないことが多いですけど、先ほど「今だからこそ唄える作品」とおっしゃったのは、21年目を迎えて、色々な痛みを経験してきた今の山内惠介だからこそ心から唄える『古傷』、と言えるワケですね。
「この歌を頂いた時は、僕に古傷なんてあったかな…と思いましたが(笑)…ありましたね。去年20周年でしたが、改めて振り返ると20年って長いんですよ。一人の子供が成人する20年という時間を歌手で過ごしてきた僕が、古傷もないなんて言っていたら、嘘になります。後悔、失敗、哀しみ…色々な傷がありました」
傷の痛みから、感謝が生まれてくるんだな、と
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その時はそれが傷って気づかないものですよね。
「傷だけにキズかな…上手い!(笑)。でも、そうですよね。人生の傷って、その時は一生懸命で気づかないんですが、時間が経つと、あれは傷だったんだ…と分かるものなんでしょうね。そしてその傷の痛みから、人の痛みが分かり、感謝が生まれてくるんだな、と」
痛みを知れば、感謝が生まれる…良いですね。さて、この歌で一番好きなフレーズは?
「やっぱり〝おまえがいたから、俺がある〟でしょうね。これがタイトルでも良いくらい、この歌で一番大切なフレーズだと感じます」
去年の20周年日本武道館公演で「あなた(ファンの方々)がいてくれたから、20周年を迎えられました」とおっしゃっていましたが、その思いは〝おまえがいたから俺がある〟と重なるのでは?
「もちろん、それはあります。応援してくださるファンの皆さま方がいたから、山内惠介がいるんです」
心から演歌が好き
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『古傷』を聴くと、やはり山内惠介は演歌歌手、という山内さんの原点を感じます。
「僕はデビューの頃から、演歌界に貢献できる歌手になりたい…と思っていたんです。小さい頃から演歌歌手としてデビューしたかったですし、その夢が叶った時は、演歌界のために何か良いことをしたいな…と思って。もちろん今も僕の中では、そういう演歌への愛、強い思いがあるんです」
山内さんは、心から演歌が好きですよね。
「だから、おこがましくも若い頃は、演歌界に貢献して演歌界を担う存在になりたい!くらいのことを言っていたんです(笑)。でも僕の根底に、演歌歌手でデビューさせていただいたのだから、自分は演歌界にその恩を返していかないといけない、という気持ちは常にあります。それに20年経って、改めて演歌って深くて難しいものだと思いますし、だからこそ今でも僕は演歌が心から好きなんです」
〝指〟が恋しい
それぞれのカップリング曲についてお訊きしますが、まず絆盤の『なにげない日々』は、このコロナ禍だからこそ〝なにげない日々〟が大切…ということも感じさせてくれるバラード歌謡です。
「これをリード曲に…という意見もあったくらいの作品で、僕もすごく好きな歌。コンサートが復活できたら、ぜひステージの大切なところで唄いたいです」
郷愁盤の『ふるさと心』。これは安心の郷愁演歌です。
「コロナの状況で故郷に帰れない方も多いでしょうから、この時期、より沁みる世界観だと思います。またメジャー調の演歌ですが、マイナーよりメジャー調の方が、歌手の表現力が求められますから、こういうメジャー調の演歌で、人生の泣き笑いを出せる歌手になっていきたいです」
暁盤の『夜明けはバラ色の指』は、ギリシャ神話「バラ色の指を持つ夜明けの女神」をモチーフした作品。
「曲はムード歌謡です。例えると『恋する街角』のムーディな大人版。『恋する街角』もテンポを遅くするとムード歌謡ですからね」
この歌にも『古傷』にも『なにげない日々』にも〝指〟という言葉が出てくるんですよ。
「本当ですね。今、気がつきました。このコロナ禍で触れ合えない時だからこそ、〝指〟が恋しくなって詞に出てきているんですかね?1日でも早く皆さまの前で唄って触れ合える日が来てほしいです」
ウルってきました
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『古傷』のジャケット写真を撮影された場所は?
「実は東京の日本家屋で撮影したんですが、デビューした年に、篠山紀信さんに撮っていただいた時と同じ場所だったんです。それは偶然で、今回、撮影に行って思い出したんです。そして、その日本家屋は今年の3月でなくなることを知って…なくなる前に行けて良かったな、と思いました」
話は変わりますが、昨年、お家時間で料理をするようになって、大好きだったおばあさまのことを思い出すとか?
「はい。祖母は料理が大好きな人で、調理師免許を持っていたので、美味しいものをいっぱい食べさせていただいたんですよ。そして僕が上京した時、祖母からフライパンを持たされたんですけど、今でもそれを使っているんです。そう言えば1月9日が母の誕生日だったんですけど、母が僕を産んだのが、ちょうど今の僕の年…37歳だったんですね。それで母と電話でそんな話をした時に、祖母がいるから、母がいて、そして僕がここにいることができたんだな…と思って、ウルっときました」
歌って、気持ちが落ちる時ほど必要!
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最後にデビュー21年目への思いを。
「『古傷』という楽曲と歩む21年目。最近は、唄い上げる系の歌などで、肩に力が入る作品が多かったんですよ。でもこの『古傷』は、肩に力を入れないで表現したい演歌ですから、良い意味で力みなくおだやかに唄っていきたい。そして、歌って満ち足りている時ではなく、こういうコロナ禍で気持ちが落ちる時ほど必要になるものだと、昨年改めて思ったんです。だから『古傷』を皆さまの心に寄り添うように、前を向いて唄っていきます!」
※本インタビューは、「歌の手帖」2021年4月号収録の文章を当時のまま掲載しております