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※本インタビューは、「歌の手帖」2020年3月号収録の文章を当時のまま掲載しております
昨年の芸能生活55周年に続き、“五木ひろし”として50周年となる令和2年。そのスタートを飾るのは、思いっきり楽しい音頭モノ『春夏秋冬・夢祭り』。本号では、いつもと趣向を変えてご自身初だという屋形船でのミュージックビデオ撮影に潜入、その模様を中心にお届け─!
撮影/島崎信一
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本名/松山数夫
1948年3月14日、福井県出身。A型
ʻ64年5月、作曲家の上原げんと氏の内弟子となる。同年9月、第15回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。
ʻ65年6月、“松山まさる”として『新宿駅から』でデビュー。
ʻ67年4月、“一条英一”に改名し、『俺を泣かせる夜の雨』発売。
ʻ69年に遠藤実氏と出会い“三谷謙”に改名、『雨のヨコハマ』発売。
ʻ70年、「全日本歌謡選手権」に歌手生命を懸け、出場。見事10週勝ち抜き、グランドチャンピオンに。翌ʻ71年、“五木ひろし”として『よこはま・たそがれ』でデビューし、大ヒット曲を連発。自身で作品を手掛けることも多い(自作曲特選楽集は10月号に掲載)。
1月8日に『麗しきボサノヴァ』(C/W『グラスの氷がとけるまで』with坂本冬美、『倖せの隠れ場所』)、2月5日には『春夏秋冬・夢祭り』(C/W『和み酒』)をリリース。昨年が芸能生活55周年、今年は“五木ひろし”から50周年を迎える。
真向勝負!
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芸能生活55周年だった2019年は、また盛大な1年でした。特に、明治座での記念公演「歌舞奏スペシャル」は3部構成で、幕開けが五木さんの舞という驚きも。
「本来ならば、歌舞伎風に衣装、メイクも含めてやりたくて。でも、着替えの時間がとれなかったものですから、本格的な日舞を…と」
第2部の「五木先生の歌う!SHOW学校」、取材した日の五木先生はセーラー服でセグウェイに乗って登場、撮影できなくて本当に残念でした(笑)。
「イモトアヤコちゃんね(笑)。第1部でしっかり歌を聴いていただいて、楽器も弾いて、まさに〝歌舞奏〟をお見せする。それがあるからこそ、SHOW学校が出来る。そういう事なんですよ」
メリハリですね。さて、本日お邪魔しております、MV(ミュージック・ビデオ)撮影は、新曲『春夏秋冬・夢祭り』。久しぶり ─『ひろしのさくら音頭』(’75年)、『科学万博音頭』(’84年)以来の音頭モノです。まさかの音頭モノで少々吃驚しました。
「オリンピックイヤーということもありますしね。最近、若者の間ではダンスミュージックがとても盛んでウケている、そんな時代に真向から勝負するには音頭モノしかないな、と。今日もね、子供たちもみんな踊りながら唄ってくれていて」
大きな声で唄っていて、とても可愛いですね。
「元気がよくてパワーを貰いました。そんな風に、子供からお年寄りまでこぞって唄えるし、ある意味、日本人ならではの究極のダンスミュージックですよ。原点です」
もしかして、大阪新歌舞伎公演で五木さんも踊られますか?
「もちろん。ショーのラストで共演者の皆さんにも全員出ていただいて踊ります。踊りを覚えてもらわないと(笑)。覚えやすいし、楽しい踊りですから」
ところで、今日は1日屋形船の中ですが、船は大丈夫ですか?
「うーん、あんまり大丈夫じゃないねぇ(笑)」
屋形船でMVを撮影する、というのは五木さんのアイディアでは?
「いや、今回はいつもMVを撮影してくれているスタッフがね、こういう風にやりたいです…と。僕もとてもいいアイディアだと思ったので。僕も、大勢の子供たちと浴衣姿で踊る …という絵を描いてはいて。さぁ、それをどこでどんなシチュエーションで撮る? どこかに櫓でも立てて、本当のお祭りみたいにして…ってね。そこで、彼らから屋形船でというアイディアが出てきたので、それは面白いな!と」
いま、半分ほど撮り終わった段階ですが。
「みんな頑張ってくれているし、大きな声で唄ってくれているし。こっちも元気になります」
嚙みしめる1年
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55周年の1年はいかがでしたか。特別だったのではないかと…。
「そうですね…僕のラッキーナンバー5が並んだ年だし、思えば昭和55年という年もとてもいい年だったし、5がダブルで並んだのでね。一度、振り返ってみて、パーティーもやって。五木ひろしの55周年。どこから55周年? と、ご存じない方もいらっしゃるので、改めてね。
55年前、昭和39年、コロムビア歌謡選手権で優勝したその年その日が、僕のプロ歌手としてのスタートでしたから。そういうことだったんだ、と知っていただく、と。芸名を変えたり、レコード会社を変えたり、そんな時代もあった、と。僕にとって、歌手生活は55周年なんです、あの時代がなければ今の五木ひろしはいなかったんです――と、そんなことを自分自身でも嚙みしめる1年でもありました」
今年は年男ですね。そして、“五木ひろしとしての50周年”でオリンピックも。
「55年前、上京した年が東京オリンピックでしたから。その時は、一市民としてテレビを視ていて。まさかもう1回、東京でオリンピックが開かれるとは想像もしていませんでした」
昭和39年のオリンピックは競技場等に?
「いえ、行っていません」
では、今回のオリンピックは。
「どこかの会場に観に行くということは出来ないと思うんですけど、いろんな形で関わっていくかと。例えば──聖火ランナーが全国をまわりますよね? (故郷の)福井県に入った、その第1走者が僕なんです」
おお…。あのトーチをお持ちになるわけですね。どのくらいの距離を?
「200~300メートルかな。福井県を1人で走るわけにはいかないですから(笑)、何人かの方々が順番に走るんですけどね。あと、パラリンピック応援の方も頼まれているので、喜んでお手伝いさせていただこうと思っていますし、ほかにもいろいろあるかと」
究極のダンスミュージック!
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一番好き
ところで、この号が出る頃には、大阪新歌舞伎座特別公演真っ最中ですね。第1部の演目は、今までに何度も演じられてきた「沓掛時次郎」、長谷川伸氏による1928年の戯曲です。
「芝居としてちょっと地味というか、人情劇なんだけど。“瞼の母”もそうだけど、長谷川伸さんがとにかく大好きでね」
沓掛時次郎は何度目になりますか?
「7回目かな、30代後半からやっているから。こういう三尺物(三尺の帯を使用していた任侠が主人公となる芝居)というのは少なくなってきたしね。(坂本)冬美ちゃんも出てくれるというし。冬美ちゃんに“おきぬ”をやらせたくてね。あれは、大変に難しい役ですから。それに挑戦してもらいたい、というのもあって。もちろん、僕自身も一番好きな芝居ですから。僕の中の代表作でもあるし、これだけ再演を繰り返したものは、ほかにないですし」
冬美さんとのデュエット『グラスの氷がとけるまで』(1月8日発売『麗しきボサノヴァ』収録)もきっと唄われるでしょうし、楽しみです。今年もまたコンサートツアーもありますし。お休みがなさそうです。
「休んでない方がいいので(笑)。ペースを崩さない方がいい、と言った方がいいかな。崩さないということは、年齢を忘れてしまうし。30代・40代の頃と今と変わらないペースなんですよ」
川上大輔
変わらないペースとはいえ、若手の面倒も見られているので更にお忙しいような…。
「どうして若手、若手と言うかというと、ベテランも若手も層を厚くしないといけないし、若手が頑張れば、僕らも押し上げてもらえるし、演歌・歌謡界がもっと盛り上がっていくのでね。今まで、“SHOW学校”で僕のアドリブにもきちんと応えつつ、自身を魅力を出してくれた山内惠介くん、市川由紀乃ちゃん…みんな育ってくれたから、嬉しいですよ。なかなかたどり着けなくて、もがいている若手もいる。いいもの持っているコたちは、僕が手を差し伸べたことでチャンスをつかんで上へ行ってくれたらいいなって、そう願っているんです。どんなチャンスでもモノにしなければダメですから」
期待している若手をひとり、今、あえて名前を出していただくとしたら、誰でしょう。
「やっぱり、川上大輔くんかなぁ。あの声は本当に特徴的だからね。なんとか、抜け出して欲しい。今ね、メイン曲ではアップテンポの作品を唄っているけど、僕だったらこういう歌を…とか考えてるんですよ(笑)。どうにかチャンスをつかんで欲しいなぁ」
そうですね。それでは最後に…今年も周年ですので、たくさんの素敵な出来事を巻き起こしてくださると思いますが、ご自身としては2020年を漢字一文字で表すとしたら?
「やっぱり、“華”。華やかな年にしたいです。とにかく、キャリアと同時に、年齢もそうだし、その時代、その年齢の華やかさが大事なんですよ。上手さとか積み重ねも大事なんだけど、いかにクローズアップされるか、目立つかが大事なんですね。そのためには、セーラー服でセグウェイにも乗りますし(笑)。とにかく、華やかに過ごしたいですね」
第70回紅白歌合戦にも出場されましたし、今年も。
「49回出場まで来ましたのでね。50という、ラッキーナンバーも目標にしたいです。いい年になるように。皆さんと一緒にね」
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撮影風景
▼12月3日、朝7時起床。11時前に集合し準備。12時半、品川の埠頭から“船清”の屋形船に乗船。すぐに撮影開始。同じ場所でカメラアングルを変えながら何度も撮る。少々揺れが激しくても全員、本番中は顔に出さない
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▼元気いっぱいに唄いながら踊る、ちびっこダンサーに「元気だなぁ(笑)」
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▼13時50分。スカイデッキへ。前日は冷たい雨が降っていたが、見事に晴れ渡った。ココではドローンも用いて撮影した
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▼晴天とはいえ、12月。冷たい風が吹き抜ける。コートを羽織らず、撮影タイミングに合わせて何度も移動
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▼談笑しつつモニターを確認。和やかな雰囲気
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▼合間にWOWOWと弊誌の取材を受け、おひとりバージョンも撮影
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▼船で移動しながら、夕焼けの中でも。時刻は、間もなく16時
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▼お台場付近で陽が落ちるのを待って、再びスカイデッキへ──急激に温度が下がった、17時。ダンサーさんたちも最後まで笑顔、全力!
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▼お疲れさまでした!拍手に包まれながら、最後のコメント撮り
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▼何十回と唄った1日。皆さんに声をかけながら下船
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1月9日~2月9日/大阪新歌舞伎座
第1部=沓掛時次郎
第2部=新春オン・ステージ
※本インタビューは、「歌の手帖」2020年3月号収録の文章を当時のまま掲載しております