石原詢子【歌の手帖2018年7月号】石原詢子「30周年、遥かな道へ」巻頭インタビューより

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※本インタビューは、「歌の手帖」2018年7月号収録の文章を当時のまま掲載しております

 演歌ファン、カラオケ好き待望の演歌作品では?…と素直に感じられたのが、石原詢子のデビュー30周年記念シングル第2弾『遥かな道』。
繰り返される日常の中で、吹きすさぶ雨と風。そこから、星のように瞬く幸せを目指して歩いていこう…そんな老若男女が共感できそうな想いを唄った同新曲には、これまでの石原詢子とは異なる、これからの石原詢子の思いが重なるように響いていた。

撮影/浅見健一

石原詢子 デビュー30周年記念曲第2弾『遥かな道』

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今そこにある希望の歌を

石原詢子さんのこれまでの周年記念曲は、周年だからと言って肩に力を入れないで、いつもと同じような歌を…という考え方から、周年記念曲っぽくない作品が多かったと思うんですけど、デビュー30周年記念曲第2弾『遥かな道』は周年記念曲らしい、歌手・石原詢子の30年を感じるような演歌となりましたね。

「そうなんですよ。今までの周年には周年っぽくない作品が多かったので、以前の周年に出した歌を訊ねられても、思い出せない事が多くて…(笑)。25周年の時も、しあわせ演歌の『さよなら酒』でしたからね。
でも新曲は10年後に、30周年の時の歌は?と訊かれても、すぐ答えられそうです(笑)」

その『遥かな道』が制作された経緯は?

「前作の30周年記念曲第1弾『雪散華~ゆきさんげ~』が大作でしたから、次はそれとは異なる、繰り返す日常生活の中にある小さな幸せや苦労を描いてもらいながら、〝今日はちょっとつまづいたけど、明日はがんばろう!〟と前向きに思えるような、今そこにある希望の作品を書いてもらいたかったんです。
そしてそれは夫婦であったり、恋人同士であったり、家族、兄弟…誰にも当てはまるような、自分の生きていく道の為に頑張ろう!と思える作品を、とお願いさせていただきました」

何度も胸がつまりそうに…

てっきり石原詢子さんの歌手人生を振り返った作品…と思ったんですけど、そうではないんですね。
でも逆に云うとそれは、歌手・石原詢子さんにも当てはまる歌詞、ということでもありますよね?

「はい。唄っていても、自分の歌手人生とも重なります。
特に3番の♪見上げた空には星ひとつ~。歌手になる為に上京し、新聞配達をしながらすごしていた冬の寒い夜、アパートの小さなベランダに出て、悔し涙を振り払って見上げた空に星があって…そうだ、私はスター(星)になるために上京したのに、と…。
その頃の気持ちがこのフレーズを唄うと甦ってきて、レコーディングの時は何度も胸がつまりそうになりました」

生きている限り常に雨の日も風の日もあるけれど、星を見上げながら歩いていこう…と。

「本当にそう思います。私の今の歌手人生も、大きなことから小さなことまで、思い通りにいかないことは多いです。また、頑張って手にとったものが大きければ大きいほど、それを逃したくない…と、保守的になってしまったり、事務所のスタッフなど守ろうとするものが出来ると、なかなかやれなくなることが増えたり…たくさんの葛藤があります。
でも、守るべきものができた幸せ、というのも逆にありますし、その時その時の状況から見える希望という星を探して、その煌めく星を見上げて前へ歩いていこう…『遥かな道』でそんな思いを伝えていければ良いな、と思っています」

石原詢子 カップリングの『細石~さざれいし~(詩吟「細石」入り)』は、タイトル通り、石原詢子さんのルーツである詩吟を取り入れた作品

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七転び八起きの歌人生

カップリングの『細石~さざれいし~(詩吟「細石」入り)』は、タイトル通り、石原詢子さんのルーツである詩吟を取り入れた作品。
ところで細石(さざれいし)とは、『君が代』の歌詞にある〝さざれいし〟と同じですか?

「そうなんです。そして細石は私の故郷の岐阜県が主要産地なんです。長い年月をかけて、一つの大きな岩の塊になった石で、歌碑などに使用されていますね。また、この歌こそ、七転び八起き、女の意地で歩んできた私の歌人生を描いていただいた作品でもあります」

詩吟の部分の節回しは、作家の先生によるものですか?

「詩吟の節は私自身ですね。
普通、漢詩に節をつけるのが詩吟ですが、これは川柳とか俳句のような形式で節をつけているので、和歌という感じの、ちょっと普通の詩吟とは異なるんです」

『寿契り酒』(平成20年)以来の詩吟入り。詩吟揖水流師範代の詢子さんには、日本の伝統芸能の大切な1つである詩吟を、こうやって演歌に取り入れながらも、継承していただきたいです。

「詩吟って、戦国時代の詞だったりするので、なかなか浸透しにくいんですけど、テレビで詩吟を唄わせていただくと、けっこう反響があって、やりたい、聴きたい、触れたい、という方が今も少なくないみたいです。だから、この歌の詩吟のように新たな詞を作って、親しんでいただけたら、と思います」

また『遥かな道』のお得盤CD(MHCL‐2742)には『逢いたい、今すぐあなたに…。』を収録。
この歌は作詞が詢子さん自身(いとう冨士子名義)の意欲作でしたが、東日本大震災の直後に発売されたことで、ほとんどテレビで唄えず、ラジオで流すことも出来なかった楽曲ですね。

「悔いが残っていた作品でもありますし、〝この歌が欲しい〟というリクエストがとても多かったので、今回収録させていただきました」

希望という星を探して、前へ歩いていこう
…そんな作品です

石原詢子 デビューから30年

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変らぬ思いと変る思い

デビューから30年、歌の道をやめる…というのは、まったく考えたことありませんよね?

「ゼロではなかったですが…でも最近はテレビの画面の解像度が4Kとか8Kになってきて、あと何年テレビに出れるかなぁ…と、ちょっと思ったりすることはあります(笑)。本当に、アップを撮らないで、引きだけにしてほしい…4K8K対応のメイク用品が出れば良いなぁ、と(笑)。
ただ言えることは、唄いたい、という気持ちはずっと変わらないですね。それは、歌手をやめたとしても変わらないものだと思います」

唄いたい、という変わらぬ思いに対して、逆に変わり続ける思いは?

「歌の世界にはこれで良い、というものがないので、常にもっと上へ、もっと自分は良くなるはず、もっと良い歌が届けられるはず…という歌への欲望は高まり続けています。そしてCDが売れなくなっているこの時代だからこそ、歌を届けるために、もっともっと頑張らないといけない…って思いも深まっていきますね」

この世界が教えてくれたこと

平成7年には、ご両親が続けて病でお亡くなりになったり、この30年には辛い出来事も多かったと思うんですけど、そういう苦難を感じさせないところが、詢子さんにはありますね。

「その時その時は立ち直れないくらい、本当に落ち込むんですけど…もちろん回りには見せないように、ですが。
だけどね、すぐに切り替えて前を向かなくちゃいけない、ということを、この音楽業界が私に教えてくれたんです。いつまでも後ろ向きでいると、この世界は待ってくれず、みんなドンドンと先に行ってしまい、振り向いたら私だけ?という状況になるんです。いつまで引きずってるの?って。やはり、前向きに進む方だけが生き残っていく世界なんですよね。
私はどちらかと言うとウジウジと考えて、引きずるタイプだったんですが、この業界に入って、それでは生き残れない…ということを教えていただいて、すぐに気持ちを切り替えるようになりました。だから、引きずらないで、どんどん切り捨てて未来へいこう…と」

以前、お部屋の掃除で、断捨離をした話をされましたね?

「元々はそれも出来ない性格で、物を溜めて溜めて、引っ越しの時にちょっとだけ捨てる…というタイプでしたが、今はもう、どんどん捨てるようになりました。過去の写真も綺麗に捨てすぎて、こういう取材などで過去の写真が必要になる時に困るんですけど(笑)」

あの光を目指して
また遥かな道を歩んでいきたいな

石原詢子 継続は力なり

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継続は力なり

今一番幸福な時間は?

「やはり食べている時です(笑)。それも30年間変わらないです。そんなに欲がないタイプなんですけど、食の欲だけは人一倍。その分、ちゃんと運動したり、時には精進料理みたいなものにして気をつけていますが」

今、一番食べたいものは?

「基本は高級なものがそんなに好きじゃないんです。お寿司屋さんでも大トロとかは食べないですし、イカとか…ちょっと高級なのはツブ貝。イカとツブ貝は大好きで、毎日食べても飽きないです。また、お肉も牛より鳥と豚で、焼肉屋さんに行ってもホルモンやミノとか…私は安上がりなんですよ(笑)」

さて、改めて、この遥かな道、30年を振り返っていただくと。

「すごい近くに光が見えているはずなのに、手を伸ばせば、光は遥か向こうにあって。でも、その光の欠片をすこしでもつかめたことがあると、今度はもっと大きな光を目指したくなるんです。
振り返ると、よく30年もやってこれたなぁ、と思いますが、そんな光を目指しながら、コツコツと積み重ねてきたことが、今につながったんでしょうね。好きな言葉は継続は力なり…ですが、その思いでまた遥かな道を歩んでいきたいです」

最後に …言い難い話ですが、今年の月日に、ついに50代に突入…いや、そうは全然見えないんで すけどね(笑)。

「40歳くらいから、カウントダウンがはじまっちゃったなぁ、イヤだなぁ…と思ってきましたけど、ついに50歳…(笑)。
でも演歌を唄うにはとても良い年代ですし、これから先も自分を見失わずに、もっと自分らしく唄っていきたい。そして、あとは健康に …健康って40歳過ぎてからよく口にするようになりましたけど(笑)、唄う上でも健康はとても大切ですからね」

※本インタビューは、「歌の手帖」2018年7月号収録の文章を当時のまま掲載しております

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