※本インタビューは、「歌の手帖」2020年5月号収録の文章を当時のまま掲載しております

20周年を迎えて、3月11日に解き放つ新曲『残照』。作詞の松井五郎氏が「『残照』とは命の放つ照(あかり)に惑う恋歌」と言ったこの新曲には、山内惠介の20周年への想い、自身の原点である演歌へのオマージュ(尊敬・敬意)が照らされていた。

山内恵介「演歌(いのち)を、照らしたい」【歌の手帖2020年5月号】巻頭インタビューより

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12ヶ月と思ったら8ヶ月

昨年は初の全国コンサートツアーで47都道府県を制覇。全75公演、 約13万人動員。日程的には、かなり大変だったのでは?

全国47都道府県を周るコンサートツアーをやりたい!と言ったのは自分なんですけど、僕は1年、12ヶ月をかけ…と思っていたんです。でもスケジュールが出てきたら、4月から11月の8ヶ月で全国を周る過酷なスケジュールになっていて…だから本当に大変でしたね(笑)。そのコンサートツアーの間にはディナーショーや、ファンクラブのイベント、番組出演など色々ありましたから。

体調が悪い時もあった?

はい。特に九州ツアーの時にはPM2.5で鼻の調子が悪くなったんです。鼻が詰まっていると、クリアな声じゃなくなりますから。喉に負担もかかって…あれはキツかったです。春夏秋と全国ツアーで各地に行かせていただくと、日々気温や湿度も異なれば、長時間の移動も多くて、自分を自制しないと続けられないので、お酒を控えたりしていました。とにかく絶対にステージに穴を空けたくなかったので。本当はこんな声のコンディションではやりたくない…と思った時もありましたが、最終的には根性、やる気です。体調が悪い時にも、プロとしてどれだけのステージが見せられるか?ということも大切ですからね。

産みの苦しみ

全国コンサートツアーで改めて日本の美しさを感じて、そんな美しき国・日本を代表する歌手になりたい、と思ったんですね。

そういう経験を糧に…おこがましいですが…なりたい、と思いました。そのためにも代表曲を作りたい。山内惠介と言えば『残照』、そうざんしょ! 良いざんしょ!みたいに言われるように(笑)。

そう言うと思いました(笑)。

(笑)とにかく代表曲を作ることで、日本を代表する歌手に一歩でも近づけるのかな、と思いますし。

20周年記念シングルの新曲『残照』はここ最近の山内作品の流れにありながら、また新たな扉を開いたような熱唱系歌謡曲。

曲はもちろん師匠の水森英夫先生で、詞は『さらせ冬の嵐』『唇スカーレット』などを書いていただいた松井五郎先生。この歌を唄っていると、これからの山内惠介はこういう歌も唄える歌手になってほしい…という松井先生の気持ちが伝わってくるように感じます。

松井先生はこの新曲を「情愛艶歌とも言うべき山内歌謡の新たな進化」と言ってます。僕は山内くんの新曲の歌唱を聴いて、骨太になったなぁ、って。

ありがとうございます。この歌には産みの苦しみがあったんです。僕のレコーディングの歌入れって、だいたい3~5回くらいなんです。それが集中力や、新鮮味、声の感じを含めると理想的なんですけど、今回はもっと唄わせていただきました。それは、今までの山内惠介とは違った熱唱を作りたかったからなんです。

山内恵介「松井先生はこの新曲を「情愛艶歌とも言うべき山内歌謡の新たな進化」と言ってます」

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演歌歌手・山内惠介を

今までとは違った熱唱?

具体的に言うと、演歌歌手・山内惠介をこの『残照』で出したかったんです。

それはどうしてですか?

『スポットライト』以降は、その曲調に合った歌謡曲タイプの唄い方をしていたんです。例えば西城秀樹さんの〝フゥーン〟と鼻から抜くような唄い方を取り入れたり。

『さらせ冬の嵐』の♪さらせ~とかそうですよね。

はい。『唇スカーレット』でも使いました。歌謡曲タイプのメロディーに合った歌唱というか。でも水森先生は〝この歌の中では、どうすれば演歌歌手・山内惠介が出せるのか?を考えて唄ってほしい〟と言ってくれたんです。『残照』は演歌タイプの曲ではありませんが、今までと同じ歌唱をこの20周年でもしてしまったら、演歌歌手・山内惠介の成長はない…と水森先生は考えたと思いますし、僕も先生と同じように思いました。演歌タイプではない『残照』だからこそ、試行錯誤しながら演歌歌手・山内惠介を意識しながら唄おう、と思ったんです。

『残照』は改めて、山内惠介の原点・演歌歌手に立ち返った作品でもあるんですね?

そうなんです。だって僕は元々、美空ひばりさんの演歌を聴いて、歌手になりたい…と思ったワケですし、『霧情』という演歌でデビューしたんですから。そんな僕が、演歌人間であることは間違いないことなんです。

山内恵介昨年末『唇スカーレット』を歌唱した時のこの衣装

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’19年末の紅白衣裳です!

▲本誌で毎年恒例となったNHK紅白歌合戦で着用した衣装での、山内惠介の表紙巻頭。昨年末『唇スカーレット』を歌唱した時のこの衣装は、5回目の紅白出場…ということで、左胸には1〜5の数字でデザインされた模様が…気がつかなかった方も多いのでは?

山内恵介「5回目の紅白出場…」

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待つ時間のロマン

新曲『残照』は4タイプが発売され、まず唄盤は『残照』のミュージックビデオを収録したDVD付。そして愛盤のカップリングは『弱虫』。

歌詞に〝北向きの部屋〟と出てきますので、あまり裕福ではない若い男女なんでしょうね。僕も上京して長い間、北向きの部屋しか住めなかったですから…夢は温かくて幸せな南向きの部屋に住むことでした(笑)。でも北向きも住めば都なんですけどね。

夢盤のカップリングが『正念場』。こういう演歌が20周年記念曲でも良かったですよね。

確かに、ありですよね。僕は基本、浪花節タイプなんです。だからこの歌のように、耐えることは大切だと思います。ほら、最近は離婚とか多くなってるじゃないですか。でも結婚したら、離婚しないで耐えて頑張ってほしいんですよ、と僕は言いたい(笑)。耐えていれば幸せは来ますから、みんな耐えて、頑張りましょう! それまで待ちましょう!と。でも、最近の人は待てないんですよ。すぐに結果を求める。待てば海路の日和あり、なんですよ。でも、そういう時代じゃないんでしょうね。

デビューして辛い日々をしっかりすごしてきた山内くんだから、説得力がありますね(笑)。

待つことは大切ですよ。メールだって送信したら、すぐに返信が来てほしい気持ちは分かりますけど、待つ時間の良さもあるんですよ。待つ時間のロマンと言うか。

『正念場』の話から、かなり外れましたが(笑)。

…まぁ、僕も皆さまも正念場に耐えて頑張りましょう!と、この歌でお伝えしたいな、と(笑)。

そして星盤カップリングは『振り返れば、いつも君が』。

大切な君が亡くなって…というバラード。大切な人が亡くなる…というのは哀しく辛いことですが、亡くなってから、よりその人を近くに感じたりすることもありますよね。すぐそばにいてくれるような、自分のことを見てくれているような心強さと言うか。振り向けば、あの方はいたなぁ、と…。

そう言われると、2018年に急逝された惠介バンドのリーダーであったドラム・奥野暢也さんを思い出しますね。

奥野さんもきっと僕を見てくれている…そう信じています。

山内恵介「奥野さんもきっと僕を見てくれている…そう信じています。」

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演歌歌手・山内惠介を意識しながら唄おうと…

山内恵介「演歌歌手・山内惠介を意識しながら唄おうと…」

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末っ子体質からの脱却

10周年からの10年で、一番変わったものは?

やはり紅白に出場できたことでしょうか。

紅白に出場されてからは、山内くんもグンと大人になったというか、基本、末っ子体質だと思いますが、しっかりされたなぁ、と。

年下ではいられなくなってきた…というのはありますね。それは変わりました。実際の兄達とも年が離れていて、長男とは一回り違いますし、17歳でデビューしてからも、回りはすべて大人でしたから。年下とのつきあいって、ほとんどなかったんです。いつでも末っ子体質で。 だから本当は、これからも末っ子でいたいんです(笑)

(笑)。兄貴風を吹かせるより、末っ子で先輩方に甘えたい?

だって僕が兄貴風を吹かせるなんて柄じゃないですもん。だけど、歌手の方でも年下が多くなってきて、年下とどうやって接したら良いんだろう?と最初は戸惑いました。でも、五木ひろしさんに言われたんですよ。五木さんに食事を御馳走していただいたり、衣装を頂いたり、すごく可愛がってもらっていますが、〝俺が惠介にしていることを、いつか惠介が後輩にしてやらないといけないぞ〟って言ってくださり、なるほど、と。

後輩の相談にのるとか?

いつの間にか水森英夫門下生の中でも年上、先輩になってきましたから。後輩を食事に誘って、悩みとか聞いてあげなきゃ…とも思いますよね。そういえば毎年、水森英夫先生の家に門下生が集まり新年会をやるんです。今年、新年会に行ったら、水森先生は門下生にお年玉を上げてらっしゃるのに、僕にはくれなくなっていたんです。あれ、お年玉を貰えなくなったな?…あっ、そうか、僕はもうお年玉を上げなくちゃいけないんだ…ということに、やっと気がつきまして(笑)。水森先生はそれを無言で教えてくれたようで、お年玉を持っていかないで新年会に出ている自分が恥ずかしくなりました。来年からは門下生にあげないと…そう考えると、来年は新年会に行くのやめようかな、と(笑)。

いやいや(笑)。

山内恵介「水森英夫先生の家に門下生が集まり新年会をやるんです」

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故郷、原点、演歌

今年のお正月休みは?

今年のお正月は福岡に帰ろうか、迷っていたんですよ。飛行機に乗って帰るのは、なかなか大変ですからね。母に電話すると〝無理せんでええけど、姪っ子や甥っ子にお年玉を上げに来なさいよ〟って。〝お母さん、あとで返すからお年玉を上げといてよ〟って言うと、〝いやですよ〟と(笑)。母は僕をなんとか帰ってこさせようとしてたこともあり結局、1月11日に福岡へ帰りました。12日には東京へ戻ってきたんですけど、故郷ではお墓詣りして、20周年の報告と、お墓の前で『残照』を唄ってきました。そして家族で水炊きを食べながら、お酒を呑んで、2時3時まで話しましたね。母は〝元々、趣味だった歌を仕事にしている。世の中にどれだけ自分の好きなことを仕事にしている人がいるか…幸せなことだよ〟と。普段は大変なことも多くて、心が折れそうな時もありますけど、歌が好き、という気持ちで乗り越えられるんですよね。自分は好きなことをさせてもらえてる…ということを考えると、耐えて頑張れる。東京にいると、そんなことを忘れそうになるんですよ。でも、やはり初心は故郷にあるんだな、と。

最後にこの20周年、『残照』で照らしたいものは?

演歌を照らしたい、です。僕が歌手として20年やってこられたのは、演歌があったからこそ。演歌は山内惠介の命。だから演歌に感謝をして、もっとたくさんの方に演歌を聴いて、そして唄ってもらえるように、僕の原点・演歌を照らしたい。

念願だった日本武道館公演も決定したとか。

11月6日に決まりました。金曜日の大安なんです。

日本武道館、そして年末の日本レコード大賞、日本放送協会(NHK)の紅白を目指し…日本を代表する歌手への道を歩んでください。

はい。演歌がええんか!?…とか言いながら(笑)、20周年は更に僕らしく頑張ります。

20周年は演歌に対する僕のオマージュです

山内恵介「20周年は演歌に対する僕のオマージュです」

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撮影/島崎信一

※本インタビューは、「歌の手帖」2020年5月号収録の文章を当時のまま掲載しております

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